クレヨンしんちゃんは、もう「ぞうさん」ができない。
- 2020.09.16
- コラム/ column
- アクティビズム, 社会構造

クレヨンしんちゃんをこの間、たまたま観た時気がついたことがある。
「ん?しんちゃんって、こんなほんわかアニメやったっけ?」ということだ。
しんちゃんと言えば、私の親が観せたくないアニメとして私は記憶している。
クレヨンしんちゃんは観たらダメ?
「しんちゃん観たい!観せてや!」という子どもに対して
「下品やからあかん」と言われた子ども時代を過ごした人はどれほどいるんやろ?
子どもとしては、なんとなく面白そうだからという理由で観たくて仕方なかったけど、今大人になった自分であれば子ども同じこと言っていたと思う。
それはただ、1992年代のクレヨンしんちゃんであった場合であり、今のクレヨンしんちゃんは問題ない。
実はクレヨンしんちゃんから、2020年の今色んなものが消えている。(あるいは減っている)
(1)ぞうさん(しんちゃんがおちんちんを出すシーン)
(2)ケツだけ星人(しんちゃんがお尻を出すシーン)
(3)ミサエのげんこつ
など。
これを「保守的」だという人もいれば「時代の流れ」だと感じる人もいると思うけど、
私はアニメからこのようなシーンを消すことによって暴力の再生産を止める大きな役割を果たしているように思う。
「そんなこと」として片付けられない
ここで、このオーストラリアのCMを観てほしい
これはオーストラリアのDepartment of Social Service が出しているものだけど、
男の子が学校で女の子のスカートをめくり親が呼び出されているものだ。
父親は息子に対して「そんなことで?」と答えるが、
一緒に迎えに来ていた娘は「私は社会に出ればハラスメントや暴力と隣り合わせで生きていくってこと受け入れているよ」と返答し
父親の「そんなつもりじゃなかった」で終わる。
父親の「そんなことで?」はクレヨンしんちゃんの「ぞうさん」や「ケツだけ星人」に対し「そんなことで?」と反応する人と似ていると思う。
「そんなこと」だけど「そんなこと」の連続で、
社会の中の軽視や差別、暴力があたりまえと、なってしまうのだ。
クレヨンしんちゃんから「ぞうさん」や「ケツだけ星人」がなくなったことで、どれだけ社会が平和になったかは測れないけど、
少なくとも、しんちゃんを見て「おちんちん」や「お尻」を人前で出してもいいのだという刷り込みは減ったと思う。
声をあげる人がいるから社会が変わる
少し、話が飛ぶが、実は80年代、90年代、痴漢が「娯楽」として雑誌に取り上げられていた。
1982年、当時の気鋭クリエイターたちが集結した雑誌の創刊号特集が「快適通勤電車特集 ここまでならつかまらない スレスレ痴漢法」。誌面ではイラスト付きで「(女子高生に)カバンでお尻をガードされた。でもなんとなくお尻が『さわってほしい』と語っていました。だからさわった」などと紹介されていた。
yahoo ニュース
2020年を生きる私たちとしては、「マジで?そんな時代がったの?」という感覚だけど、きっとこの先クレヨンしんちゃんも同じように「マジで?アニメでおちんちん出してたの?」という時代がくるかもしれない。
痴漢は性犯罪であると声をあげる人がいたからこそ、社会の認識が変わった。そしてこれはクレヨンしんちゃんにも同様のことが言える。「性器をどこでも、かしこでも出すなんて暴力だ」と言った人がいたのだろう。
もしかしたら「おちんちん」や「お尻」が名物なアニメだったかもしれないが、時代の流れと、視聴者の声を汲み取って内容を変えてきたしんちゃんは、失った視聴者もいれば、私のように得られた視聴者もいるだろう。
無意識な軽視、差別、暴力は本当に私たちの生活の些細な場面から始まることを忘れずに日々を過ごしたいと感じた出来事だ。
ほなね。ナッツ。
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