なぜ「男」か「女」か、はっきりさせたがる?
- 2020.12.07
- コラム/ column
- ジェンダー, 社会構造

「男なの?」「女なの?」の違和感
なぜだか、人間は「男」か「女」かをはっきりさせたがる。
同性愛者に対し「どっちが妻なの?夫なの?」と聞いたり、
トランスジェンダーの人に「結局、どっちなの?」と聞いたり、
男っぽいだの、女っぽいだの、勝手に性別を割り当ててくる人種が、大勢いる。
なぜ「男」か「女」かの情報がそんなにも緊急性があるのか全くわからない。
結局相手を知ろうとしていない、そこに尽きると思う。
相手を知ろうとする力
本来、相手を知るために「男か女か」なんていう情報は、なんの助けにもならない。
女だからといって、「じゃあ、ケーキの話しよう」とか
男だからといって、「じゃあ、車の話しよう」なんて判断は、あまりにも勝手な想像にすぎないためだ。
それであれば、「趣味は何?」「何をしている時が幸せ?」と率直に聞けばいい。その方が大分相手のこともわかるはずだ。
男でも、女でも、中性的でも、ノンバイナリーでもなんでもいいじゃないか。
そう思うが、大半の人が「男か女か」がわからないと相手を知った気になれないようだ。
自分の固定観念に縛られた会話
結局、自分の固定観念だけで会話をすると自分の知っている範囲でしか相手を知ることができない。
相手を自分の知っているものに押し込めようとしているのだ。
だから「どっちが妻で、どっちが夫なのか」「男なのか、女なのか」「らしくないか、らしいか」の話になってしまう。
だけど、世界は、自分の固定観念より、よっぽど広い。
よっぽど広くて、未知数で、それが美しいのだ。
そして今、目の前にいる人は、SMAPでいう「オンライーワン」な存在である。
つまり、自分の知っている範囲だけで理解するなんていうのはあまりにもおこがましい。
だから、自分の固定観念を超えた人付き合いをしてみてはどうだろう。
世界はよっぽど生きやすく、優しい場所になると思う。
ナッツ。
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