女性の体は政治的である-国の政策に左右されがちな件-

女性の体は政治的である-国の政策に左右されがちな件-

女性の体が政治的というのは?

女性の体が政治的であるというのはジェンダー学ではよく言われます。

体が・・・政治的・・・?どゆことや?

よくわかんないですよね。だけどよく考えてみてください。

今、緊急避妊ピルの薬局における販売を認めるか・認めないか議論されています。妊娠・出産・あるいは中絶など、女性の人生に大きく関わる事柄を国は「認めるか」・「認めないか」を議論しているのです。

女性が避妊に失敗してしまった時に頼れる選択肢があるというのは本来あるべき姿です。だって個人の人生に関わるのだから。しかし今の日本では婦人科へ行く、あるいはピルを輸入する以外の選択肢は存在していないのが実情です。もちろん、そもそも緊急避妊ピルの提供を認めるかも過去に議論されています。

それほど国は体に対する選択肢に関与してきているのです。

これはたった一例にすぎませんが、「女性の体は政治的である」のイメージがついたでしょうか?論理的な決断だけではなく、文化的、歴史的背景など様々な要因が女性の体の選択肢を狭めているのです。

性教育はしない、だけど産んでほしい

日本の性教育は、世界的に見ても遅れているのは多くの人が知っている、感じていることだと思います。

大人になってから「なんでこんなことも知らないんだろう・・・」と自分に対して驚くことも増えていきますよね。

20代後半を生きている私は、同世代が様々な性や生殖に関する悩みにぶつかっていること目の当たりにしています。

2013年に内閣府は日本の少子化を懸念し、「女性手帳」を配布しようとしました。10代-30代の女性に対し体のメカニズム、そして妊娠・出産を意識させるような将来設計の啓蒙などが含まれた内容となっていたその手帳。

一瞬、ええやん!と思うかもしれませんが、明らかに政府の態度は「子度も産むことについての知識はオッケー!」といった女性に対する偏ったアプローチをしていることが見受けられますよね。

だって、自分の体について、性については学校で教えすぎては困る、けど産むことについては啓蒙しよう!だなんて一体女性の体をなんだと思ってるの、、と文句を言いたくなります。

避妊ピルが薬局でまだ買えないことや、性教育が未だに改善されていないこと、やたらと少子化問題に焦点を当ててくることを鑑みると女性の体は「子どもを産むもの」が国のとっての大前提なのかなと感じてしまいます。

自分の体に対する決定権

自分の体に関する決定権は本来自分にしかありません。しかし、私たちの多くはそのような認識のないまま日々を過ごしています。

性行為をする・しない

子どもを産む・生まない

避妊する・しない

これらは全てが女性一人一人の決定下にあるべきであり、国が少子化だから産め!なんていう方針はナンセンスですし、性について教えない(なぜからば淫らな性行為が増えるから!)的なのもナンセンスです。(そして性行為=子どもを作る行為という立体感のない性の見方もナンセンス・・・)

女性の体は極めて政治的・・・だからこそ声をあげたり、署名したり、選挙へ行くことがとっても重要なのです。

女性が体の自由を奪われないように、普段からアンテナを張ってみてくださいね。

ナッツ。