【男女別名簿】が植えつけてしまう固定観念について考えてみた

【男女別名簿】が植えつけてしまう固定観念について考えてみた

男女別名簿と男女混合名簿

男女別名簿が日本の社会には今でも存在する。

小学校・中学校・高等学校で使用される名簿は

(1)男女が混合でアイウエオ順に並んでいる名簿 (別名:性別によらない名簿)

または、

(2)男の子が先でアイウエオ順、そして後に女の子がアイウエオ順にくる名簿

のどちらかです。

男女別名簿では女の子が先にくるものは恐らく存在せず、戦後から男の子が基本的に先となっています。たかが名簿、されど名簿。名簿を男女別にすることで子ども・生徒、そして教員に対しどのような意識付けがされてるのか、考えてみました。

「先である」ことが何を意味するか

誰かが「先」であるというのは多くの場合、その人が「えらい」「すごい」というニュアンスを含むことが多いと思います。

「お先にどうぞ」と言っても「お後にどうぞ」とは言わないように、先に何かすることには優先性・優位性を意味します。

つまり、名簿で常に男の子が先であれば、「先であるべき存在」そして、先にこない女の子は「後であるべき存在」と内面化してしまう可能性があります。

たかが名簿です。だけど、毎日のように使われる名簿が子ども・そして教員に影響を及ばさないわけがない。

ジェンダー的役割の内面化はこのような小さなことの積み重ねです。教科書に女の子が主人公のストーリーがない。歴史で扱われる人物が男ばかりである。そんな小さなジェンダー的偏りが次第に積みかさなり、子ども、生徒、教員と「こうあるべき」が作られてしまいます。

固定観念は人を根本的に苦しめる

「自分は常に優先されるべき存在である」と内面化している男の子にも、「自分は常に後回しの存在である」と内面化している女の子も、人生を生きていく中で自己肯定感への影響を及ぼすと私は考えます。

「自分は常に優先されるべき存在である」と内面化してしまった場合、人生のどこかで「優先」されない経験をしてしまうと葛藤に繋がる(「男として」という偏った葛藤)でしょう。また「男性だから優先されるべき」なんて偏った考えを持ってしまうことで、周りを傷つけてしまうような言動・行動をとってしまう可能性もあります。

また「自分は常に後回しの存在である」と内面化してしまった場合も、「自分はそんなに重要な存在ではない」という偏った考えに繋がり、自信が持てない、チャレンジできない、常に人の顔色を伺うなど、とても生きづらい状態に陥ってしまうことが容易に想像できます。

固定観念は基本的に人を苦しめます。「こうあるべきだ」の中に閉じ込められてしまった人間はなかなかそこから抜け出すことができないので、「男だから」「女だから」という社会が勝手に作った像に振り回される人生になってしまうかもしれません。

「あるべき姿」に振り回されない人生

なんども言っていますが、たかが名簿、されど名簿です。(笑)

隠れたカリキュラムとして、学校にはジェンダーの不平等が名簿に限らず存在します。それは学校が悪いとか、教員が悪いとか、カリキュラムが、、という話ではなく、私たち一人一人に思い込みや気づかない固定観念があるため、「意識しましょう、意図的に変えていきましょう」ということだと私は思います。

現場にいる先生一人一人が様々な工夫、そして葛藤をしているのではないかなぁと思います。そんな現場の人にとって何か貢献できればと思うばかりです。

ナッツ。