NETFLIXシリーズ – “アンオーソドックス”をジェンダー視点で観てみた

NETFLIXシリーズ – “アンオーソドックス”をジェンダー視点で観てみた

NYハシディック派ユダヤ教コミュニティで育った女の子の話

※この記事はネタバレを含みます

ハシディック派ユダヤ教徒の存在を皆さんは知っているでしょうか?私もこのシリーズを観るまであまり詳しく知らなかったのですが、思い出せばイギリスに住んでいたことバスでハシディックコミュニティを通ったことがありました。

ハシディック派ユダヤ教徒とはユダヤ教の中でも最も定められた規定を厳格に守り生活している超正統派ユダヤ教徒の人々のことを指します。そんな彼らはニューヨーク市ウィリアムズバーグ地区に大きなコミュニティを築いており、”アンオーソドックス (Unorthodox)”では、その地での出来事を題材としたシリーズとなっています。

主人公はエスタ・シャピロ(通称エスティ)、ニューヨーク市ウィリアムズバーグ地区のハシディック派コミュニティ育ちの女の子です。

シリーズでは「周りの女の子と少し違う」と感じながらもコミュニティの文化の中で生きようとする主人公の姿や、やっぱり合わないと逃げ出し居場所を姿の両方が4部作で描かれています。

女性同士による生きづらさの再生産

ハシディック派ユダヤ教徒は規律が多く、例えば、「インターネットは厳禁」「決まった服装・髪型」などがあります。中にはコミュニティを大きくするために女性は「子ども多く産むこと」がジェンダーロールとして求められており、このシリーズの中でもその役割を女性同士が役割を全うするよう見張っていることが印象として残りました。

義理の母親がエスティーの家を訪れ「私をがっかりさせないでね」となかなか子どもを授かれないエスティーへ念を押します。

よくジェンダー学やフェミニズム、女性学では、権力を握る男性により女性が抑圧されていることがハイライトされますが、

今回のように年上の女性が若い女性に対して、女性を抑圧する習慣を再生産することも多くあります。

この場合「抑圧している」という認識はなく、自分たちの文化やコミュニティの生き方を守っているという認識の方が強いでしょう。

(これは世界の様々な文化的習慣の再生産にあてはまる事象であり、例えばFGM (Female Genital Multination: 性器切除)でも同様のことが言えます。)

文化=アイデンテティとも言えますが、このように自分の持っているアイデンテティを守る・維持することが誰かの生きづらさに繋がってしまうということがうまく描かれている映画であると感じました。

選択肢が増えることが生きづらさになる

主人公のエスティーがもし、自分のコミュニティ以外の生き方、人生の「選択肢」を知らなければ、彼女の生きるコミュニティでの文化・風習に葛藤することはなかったでしょう。

選択肢が増えることは「エンパワーメント」であると言われますが、選択できない選択肢が増えていくばかりでは逆に当事者を苦しめてしまうこともあります。

NETFLIXシリーズ “アンオーソドックス”の場合、主人公にドイツへの永住権があったことから生まれ育った場所から離れられたものの、そのような選択肢がない場合がほとんどでしょう。

グローバル化が進み、「遠い国での当たり前」を知ることが容易になってしまった今、「選択肢」が増え、自分のいる場所が生きづらくなっていることは多くあるのではないかと思います。

むやみやたらに「女性の自由」を文化圏の外部の人が主張することにもリスクがあるということを私たちは常に覚えておかなければならないと思いました。

※ウィリアムズバーグ地区の超正統派ユダヤ教徒の中でも厳格さや、暮らし方のグラデーションはあります。Netflixでは女性の抑圧や生きづらさに焦点をあてて描いているため、超正統派=女性を抑圧していると思ってしまいそうですが、全ての女性にとってそうではないということを念頭にこの記事を読んでいただけたらいいなと思います。

ちなみにウィリアムズバーグへ潜入してみた!というYoutube動画がありましたのでここで共有しますね。観ていただければなんとなく地域のイメージがつくかなと思います。

ナッツ。